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美しくなんか、ない。
見ました。
白虎隊。

「なぜ」と「何が」という疑問ばかりが湧いてきて、
ただひたすら泣くことしかできなかった自分が、そこにいました。


ただ、
「生きる」のも「死ぬ」のも、
そこに隙間なく意志や心、葛藤が込められていて、
“何となく”生きる人も“何となく”死ぬ人もいなくて、
それが幸せだろうが不幸せだろうが、
どちらを選ぶのも大変だった、そんな時代。

そんな、現代との違い。


それがよく、わかりました。


でも、何が正しい幸せであるかなんてわからないにしろ、
そしてその幸せは、自分では選びようがなかったにしろ、
人間が望むものは、
愛する者との平穏。ただそれだけであること。

そんな、過去現代に関わらない常。


それもよく、わかりました。




なぜ生きるのか、なぜ死ぬのか、何が正しいかなんて誰にもわからないにしろ、
誰もが自分の、自分だけの真実を胸に携えて、それを信じることを止めなかった。
そんな強さだけは、まっすぐ胸に響きました。


学んだ、とかだけじゃなくて、
深く、心に刻んで、
じゃあ自分はどうすればいいのかと、考えてみたいと思います。



******
「白虎隊」というドラマそのものに関する点と、
今回のキャストによって思い入れを持った上で鑑賞した点、
拙い言葉かもしれませんが、どちらも語っていきたいと思います。


番組HPにも書いてあることですが、
白虎隊そのものは、峰治含め実はそのほとんどが生き残っていて、
歴史の教科書に載っているような、いわゆる
「白虎隊の悲劇」として語られる飯盛山での彼らの悲しい最期は、
隊全体からすればほんのごくわずかな人数の結末でした。

なんでそんな確率のとこにわざわざ聖が…
とか考えて悲しくなったりもしたけれど、
白虎隊をドラマ化するにあたってそこにスポットライトを当てるのは当然のことで、
なんだかそこを考えて悶々としたりもしました(苦笑)。


生きることも、死ぬことも、
どう生きて、どう死ぬのが正しいのか、
いつの時代だってそこに正しい答えなんてないけれど、
自分の中の真実を形成するにあたって、
「教育」がどれほど重要であるか、そこにまず、はっとしました。

以前、「教育とは、子育てとは、ある種の“洗脳”である」
と聞いたことがあります。

親に、藩に、「言い聞かされて」育つこと。
自分の意志の根底にすら、それは根付いているに違いないと思うから。
価値観や判断基準にすら、影響を与えていると思うから。


藩の、取り分け会津藩の方針として、
「忠義」は、そこに生きる人間の大前提として根付くものであって、
10歳、11歳の頃から、来る日も来る日も日新館で説かれたのは、
その姿勢と、
国のため、幕府のため、藩のため、殿のため、と、
自分以外のもののために存在する自分の命。
それは、万人共通のものであったかもしれないけれど。

それを前提とした上で尚、
3人がそれぞれの親から言い聞かされきたことは、
それぞれ異なるもので、それを語り合うシーンがあったよね。
みんな違うけど、自分の真実を信じて胸を張ってた。


これは、私自身も実感しているからこそ、
教育というものの威力をとても感じました。


峰治のお母さんは、
「この世に未練があってはよく戦えないからいけない」
という考え方の持ち主で。
これはまず一つ、その考えに賛同すること、フォローして正当化することは、
しようと思えばいくらでもできる考え方だと思う。


でも。私こないだ、武士の一分見てきたんですけど。
目が見えなくなったキムタク侍が、腕の立つ侍と決闘をするんですね。
詳しくは言わないけど、それは彼の、大切な人のためだったの。

でね、誰の台詞だったか忘れちゃったんだけど、
一見見え切っているこの勝負の明暗を分けるのは、
「生に執着する者」と「死をも恐れぬ覚悟を決めた者」との差である。
ってゆうのがあって。

でもその上で、
「必死すなわち生くるなり」
ってゆう言葉も出てきて、
「大切なものを守るために死を恐れないこと」と
「絆(ほだし=この世への未練となる縁)のために生きること」って、
紙一重なんじゃないかなって思ったんだよね。


死を恐れないからって、死にたいわけじゃなくて、
生きたいからって、それは自分のためじゃなくて、
なんて、難しい時代だったのかと思うよ。
生きることも、死ぬことも。

リアルにその時代の人間の思考回路を実感できないから、
どう決め付けていいものかどうか迷うけど、
それでも、時代とか関係なく
単なる「死」そのものが、そのまま幸福なわけない。
だって、いつだって、「死ね」って言われて嬉しいわけないから。

なのに、その「死」すら、国を挙げて正当化できるほどの、
時代だったんだ。
そしてそれは、ほんの60年前まで、
根強く残っていたもので。




親の愛は、子供のいない私には、正直語れないものだけど。
軽々しく「いつの時代も同じだ」って、私が言うのは憚られるんだけど。


だけど、大切な人には生きていてほしい感覚なら、
いつの時代も同じだって、少しは確信を持てるかも。
親にとって子供は、その「大切」のレベルが、甚だしいものなのでしょうか。


その上で。
大切な人に、「立派に死ね」って。
本音は、どんな形であれ生きていてほしいに決まってるのに。

なのに。

今正に元気に生きている我が子が死ぬための服を縫って、草履を編んで、
「好きなおもちゃ買っておいで」でも
「これでおいしいもの食べなさい」でもなく、
「死んだときに埋めてもらえるように」ってお金を託して、
それが親として子にかけられる最後の愛情だなんて。

大切な人が「死」に向かう背中を、
万歳をしながら押してあげなければいけないなんて。

そして、大切な人が「死」に至って初めて、
それが幸せだ、誇りだって、思わなければならないなんて。


そんな残酷な強さ、ないと思う。
「強い」ってただ賞賛するには、あまりに哀し過ぎて。



自刃のシーンは、聖演じる儀三郎の顔が、
脳裏に焼き付いて離れません。
ドラマの流れ云々とはまた別に、とても辛くて痛いシーンでした。
それが他の誰でもなく、聖だったことで。

普通この時代の公的な切腹って、
「切腹」とは名ばかりで、介錯が付くものだけれど、
おそらく彼らは、文字通りの「切腹」をした人が多いと思う。
最期まで、痛み、苦しみを感じていたんだ。
それを思っただけで、たまらなかった。

ただ死ぬだけなら、持っていた鉄砲で、
一発で楽に逝けただろうに。
死に方ひとつに至ってまで美徳を求められた、そんな時代で。
年単位でなく、数日単位で、そんな時代の極めて末期だったからこそ、
武士と呼ぶには幼過ぎる少年たちが、
誇りを持って自らの腹に刃を突き立てたこの事実が、
皮肉に思えて、切なくて悔しくてしょうがないです。


その瞬間ももちろん、胸に突き刺さったけれど、
目を閉じた儀三郎の遺体が雨に打たれるところはもう、
叫び出しそうなくらいに痛いシーンだった。

「淡い想いを経験しただけの、17年の生涯を閉じました」

聖じゃないのに。
でも私にとって儀三郎は、その存在を知ったときから聖だったから。
織田信長だとか坂本竜馬だとか、
元々知っている人間を演じるんじゃなくて、
聖が演じるから、知った人だから。
もう聖にしか、見えなくて。

儀三郎が死んでからの40分くらいは、
どのシーンで泣いても、半分以上は儀三郎の死を想って泣いてたと思う。

悲劇の中心として語り継がれる士中二番隊の中にしたって、
生き残る人の役じゃなくて、なんでわざわざ死ぬ人の役…とか、
そう考えて悲しかった部分もある。絶対。


でも、ただそうやってファンとして見てる限りでも、2人の自分がいました。

聖が大すきだから、死ぬ役は悲しい。
聖が大すきだから、その死がこれほど重要な意味を持つ役を貰えたことが嬉しい。

結果的に私は、聖は儀三郎を演じてよかったと思っています。
ただ死ぬ役ってわけじゃなくて、
あのような人物「篠田儀三郎」は、田中聖にふさわしいから。
悔しいけどそう考えると、あの「死」までもって「篠田儀三郎」だった。
彼があんな人物であったから、聖が演じることが望ましかった。

あの役は客観的に見ても、100%聖でハマってた。
そう言えることが、本当に誇らしい。
だって矛盾してるかもしれないけど、他の人に演じさせたくなかったもん。


ほのかな恋愛も、聖はほんとにうまいね。
例のキスの後の眉毛を下げた表情。
あんな聖の顔、初めて見た。
眉毛下げたとこなら今までにたくさん見たことあるのに、
あの表情は本当に、本当に初めて見る顔だと思ったの。
ものすごくときめきました。

でもいつか、ちゃんと叶う恋愛を、演じてほしいな。


太ちゃんも、ものすごくよかったと思う。
片手間で言ってるんじゃなくて。本当にそう思う。
その感動も、確かにあった。
でも、それ以外に言いようがなくて。でもほんと、よかった。
お疲れ様。


それとキャストについてゆうなら、
信太くんが出てたのが、嬉しかったな^^
草色の服着て出陣した子ね。
金八先生6の上戸彩の回
(ジャニ的には東新くんとかシゲの回って言った方がよいのかしら;)
に出てたんだけど、結構好きだったんだ。ちなみに信太は役名ね。
中尾明憲くんとか。結構あの回全体的に好きだったの。
斉藤祥太くんとの久々の再会は、どうだったかな。
ウォーターボーイズにも出てたんだけど、
あのときは慶太くんの方だったから、ざんね〜んって思ったんだよね。

それから、冨田翔くんもほんとかっこよかった。
私結構早く起きた日曜は見るんですけど、
何年か前の○○レンジャーみたいな戦隊ものに出てて。
一瞬KinKiの剛くんと見間違えたの。昔の;
あの、議長みたいな役の子ね。
ほんとかっこよかったわー



それから。もちろんPちゃん。
たくさんの責任、期待、使命を一身に背負って、
立派に演じ切りました。
峰治も、Pちゃんで正解だったんじゃないかな。
私はPちゃんについて語れるほどのもんじゃないけど、
それでも、峰治の性格やキャラクター云々以外に、
このドラマの主役であるという部分。
そこまでもって初めて、酒井峰治=山下智久だったんだと思う。
あなたが、その幼くて穏やかな表情を残したままで人を斬る場面は、
本当に胸が痛くてしかたなかったよ。

本当に、お疲れ様でした。




白虎隊。

今描いたことで、伝えられるものは確かにあって。
それをこんなにも訴えたという点で、
本当に素晴らしいドラマだったと思う。


でも、勘違いしてはいけない。

赤穂浪士の討ち入りだとか、新撰組だとか、
そしてこの白虎隊も然り、
悲劇は時として、美化されて後世に語り継がれるけれど、
ただ美しいものとして片付けては、いけない。
どれだけ周囲に褒められたって、讃えられたって、
罪のない人が死ぬことが美しいわけない。
美しくなんか、ない。

これは、この生き様は、「かっこいい」ものであるかもしれない。
けれど、繰り返すべきものではないから。
彼らへの敬意と共に、悲しみや空しさも、深く胸に刻まなければいけない。


今ある平和を、大切に思う心は変わりません。
でもその「今」は、そんな時代と全く別個のものではなくて、
そんな時代を経て繋がっているものだから。
あのときに死んだ人が、どれだけ忠義に厚い純粋な人間で、
あのときに生き残った人が、どれだけ卑怯で薄情な人間か、
そんな非情が、確かに少しでもはびこっていたとしても。


今を創ったのは、過去だから。
誰かしらが何かしらの努力をしなければ、
今も平和とは呼べない時代だったかも、しれないから。
そしてその努力は、現実的かつ具体的に言うなら、
生きた人間のそれが、より切実であって。


感謝します。
こんな今を、生きられることに。
そんな今を、創ってくれたことに。


今を生きる私は、国のためには、正直死ねません。
もちろん、都のため、市のために死ぬのなんか、まっぴらです。
そんな時代は、悲しいのかな。わからないよ。

でも大切な人たちは、守りたいです。
「命をかけても」とか軽々しく口にするのは正直畏れ多いし、
命をもって守れる状況そのものが、今となっては珍しいのかもしれないけれど、
命の意味を考えたそのときに、
私にとっての「大切」が、「命」そのものな気もするから。


大切なものを大切にするのは、難しいことだけれど。



精一杯、大切に、します。

| 田中 聖 | 05:11 | comments(0) | - | pookmark |
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